大阪地方裁判所 昭和47年(行ウ)42号 判決 1980年5月26日
原告 山田エイ
被告 堺市長
主文
原告の主位的請求を棄却する。
原告の予備的訴えを却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主位的請求
堺市厚生産業局長加古川国雄が原告に対し、昭和四七年三月二八日付をもつてなした、堺市立新金岡西保育所勤務を命ずるとの配置命令は無効であることを確認する。
2 予備的請求
前項の配置命令を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 本案前
原告の訴えをいずれも却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
2 本案
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二本案前の主張
一 被告
1 原告は、主位的請求として、行政処分たる請求の趣旨記載の配置命令(以下本件命令又は本件配転という)の無効確認を、いわゆる抗告訴訟の一種である行政処分の無効確認訴訟として求めている。
しかしながら、行政処分の無効確認訴訟は、行政庁の行為を否定する唯一の手段ではなく、通常の場合、右処分の無効を前提として、現在の法律関係に関する訴訟によつてその目的を達し得るのであるから、無効確認訴訟は、他の方法によつては救済されない場合に限つてのみ訴えの利益が肯定され、その提起が許されるのであつて、行政事件訴訟法(以下行訴法という)三六条は右法理を明文によつて明らかにしている。
本件における原告の請求は、原告が現在堺市立共愛保育所の保母たる地位を有することの確認を求める訴訟によつてその目的を達することができるのであるから、本件命令の無効確認を求める訴えの利益は存しない。
もつとも、原告の右請求を、現在の地位確認訴訟と解するとしても、現在の地位確認訴訟はいわゆる当事者訴訟であるから、その被告適格は処分庁ではなく、権利関係の主体であつて、原告が堺市の職員である本件においては、当事者訴訟の被告は堺市であるから、いずれにせよ、本件手続においては、原告の訴えは却下すべきものである。
2 原告は、予備的請求として、本件命令の取消しを求めている。
ところで、行訴法八条一項は、その但書該当の法律の定めがあるときは審査請求に対する裁決の前置を義務づけており、右裁決を経ずして提起された取消訴訟は、同条二項の事由の立証がない限り、前提要件を欠き却下されることになる。
原告の主張によれば、本件命令は地方公務員法(以下地公法という)四九条にいう不利益処分に当たるところ、同条の不利益処分については、異議申立てに対する公平委員会の決定を経た後でなければ、訴訟を提起することができない(同法五一条の二)のであるから、公平委員会に対する異議申立てをなさず、それに対する決定もなされずに提起された本件取消訴訟は、その前提要件を欠き、却下されなければならない。
二 原告
1 原告は本件無効確認を求める適格がある。すなわち
行政処分の無効等確認の訴えは、(1)当該処分又は裁決に続く処分により損害を受けるおそれのある者、(2)当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者で、当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによつて目的を達することができないときのいずれかに限り、提起することができるところ(行訴法三六条)、原告は現在に至るも本件命令に従つていないため、これを理由に堺市から懲戒処分を受けるおそれが多分にあるから、前記(1)の要件に該当するし、原告は本件命令に基づき新金岡西保育所勤務を命ぜられて以後、一か月二五〇〇円の割合による同和保育に伴う特殊勤務手当の支給が打切られ、その結果、超過勤務等に伴う調整手当についても減額支給されるに至り、将来、退職金、共済組合保険金等の支給に影響を受けることとなつた。このような損害に対する救済を個々の現在の法律関係に関する訴えによつて目的を達することは困難であるから、前記(2)の要件にも該当し、原告は訴えの適格を有する。
2 本件について、原告が審査請求に対する裁決を経ずして本訴を提起したことは適法である。
(一) 本件命令は地公法四九条一項にいう不利益処分ではない。もし不利益処分であれば、処分者(本件命令当時は被告から権限を委譲された堺市厚生産業局長が保母について配置命令を出していたが、昭和四七年四月一日から右権限の委譲がなくなり、堺市長が配置命令を出すこととなつた。以下右局長を含めて被告ともいう)において同法条に定める処分の事由を記載した説明書を原告に交付しなければならないところ、被告はそのような説明書を交付していないことからも明らかである。
(二) 地公法五一条の二は、行政庁が自己点検を行い、争訟の迅速な解決をはかることを目的としているもので、その趣旨は主として行政の便益を考慮しているものであるが、右便益を受けるべき被告自身が不利益処分と考えておらず、不服申立てを前置せしめる利益を放棄しているとみられる本件の場合にまで同法条を適用する必要はない。同法条は、行政当局が不利益処分と考えて処分事由説明書交付などの手続をとつているときとか、当該処分について被処分者が不利益処分として同法四九条の二の不服申立ての手続をとつた場合にのみ機能すべきものである。
(三) 仮にそうでないとしても、およそ、審査請求前置主義は国民の裁判を受ける権利を狭め、場合によつてはその機会を奪うことにもなるから、処分取消訴訟についてこれをとることは例外とされ、また、これをとつたときにも厳格、一律に貫くことなく、明文上も裁決を経なくとも適法である場合を定めているのであるが、具体的な適用においても右の緩和規定をできるだけ広く解釈し、司法救済の方途を閉すことのないように配慮することが求められる。
まず、本件命令は昭和四七年三月二八日原告に告知されたので、原告は直ちに堺市職員労働組合(以下市職労という)と相談のうえ、本件命令を撤回させるための法的救済措置の準備を始めたのであるが、原告が右命令書を受領しなかつたため、被告は原告に何とか渡そうと連日にわたつて持参し、送りつけるなどの圧力を加えたため、原告は遂に思い余つて自制心を失い、同年四月七日に自殺をはかるに至つた。
したがつて、本件命令を争うについて審査請求の手続を経ていては、執行停止の申立てもできず、幸い自殺が未遂に終つたのに再び被告が執拗に命令書を手渡そうとしたり、新金岡西保育所への勤務を命ずることも考えられ、その結果またしても追いつめられて自殺をはかつたり、ノイローゼ状態になるなどの事態も危ぐされたため、一方で市職労と堺市との団体交渉で命令の撤回を求めると共に、他方、法的救済措置としては、同月一〇日に家族、市職労と代理人らで協議したうえ本件命令の無効及び取消しを求める本訴を提起し、直ちに執行停止を求め得る態勢をとることとして、同月一四日本訴を提起したのである。
ところが、同月一四日の右団体交渉において、被告は、本件命令を直ちに撤回することはできないが、命令の執行は原告の意思を聴取したうえで柔軟に対処する旨表明したため、結果において執行停止の申立てはしなかつた。
以上のとおりであつて、本件においては原告の生命と身体の安全という金銭で償えない損害を未然に防ぐという緊急の必要が存したのであるから、前記裁決を経なくとも処分取消しの訴えをなすことは適法である。
更に、本件命令がなされた当時、部落解放同盟大阪府連合会(以下解同大阪府連という)から「糾弾」と称する暴力や脅迫を集団的に加えられたことにより、堺市の各機関は完全に解同大阪府連の不当な支配下に置かれ、その自主的な判断を完全に放棄しており、本件命令の告知後も、執拗に命令書を原告に交付したという体裁を整えようとしたり、他の一般の配転などで市職労から申し入れがあつたときには協議しながら、本件については市職労の役員と会わず、答えずの態度をとつていたのである。解同大阪府連は、原告を共愛保育所から排除しようとしており、堺市内部の行政機関に審査請求をしても解同大阪府連の不法な圧力により直ちに救済裁決を得ることは期待できなかつたのであるから、裁決を前置しなかつたことには正当の事由がある。
なお、本件においては、主体的に裁決の前置を要しない本件命令の無効確認を求めているのであり、予備的に本件命令の取消しを求めるものであるが、無効確認の本訴を提起する一方で予備的請求のための審査請求をなすことは手続の重複であり、訴訟経済的にも不合理であつて、このような場合にまで裁決を前置せしめる必要は存せず、本件予備的請求をなすにつき裁決を経ていないことは正当である。
以上のとおり、本件命令に対して裁決を経ないで直ちに処分取消しの本訴を提起したことは、行訴法八条二項二号、三号に該当し、適法である。
第三本案の主張
一 請求原因
1 原告は、堺市立共愛保育所の主任保母(但し、正式に発令された主任保母ではなく、上司より口頭で事実上の主任保母を命ぜられたもので、口頭主任ともいう。以下原告について同じ)である。
被告から保母等の職員の配置命令をなす権限の委譲を受けていた堺市厚生産業局長加古川国雄は、昭和四七年三月二八日、原告に対し、市立新金岡西保育所勤務を命ずるとの本件命令をなした。
しかし、本件命令は、次の理由により無効又は取消されるべきものである。
2 本件命令は、採用の際に定められた職種の範囲を超えたものである。
(一) 地方公務員であつても、本人の同意なくして採用の際に定められた職種の範囲を超えた配転をすることはできないのであつて、保母として採用され、それが職種として定まつている場合、保母以外の職種を命ずることは許されず、更に、保母の中でも、一般の保母とは異なつた特殊、特定の業務内容や目的をもつ保育所の保母として採用された場合も、一般保育所へ配転することは許されないというべきである。
原告は、一般の保母として採用されたものではなく、同和保育所(同和地域にあつて、同地域の乳幼児のみの保育を目的とする保育所をいう)である共愛保育所において同和保育を行うものとして採用されたものである。
以下、原告が堺市に採用された経緯及び今日に至るまでの原告の職務内容などから、右の点を詳述する。
(二) 堺市においては、昭和二年に部落改善事業として耳原町(現在の協和町)に家事講習所が設けられ、昭和四年に共愛託児所が開所され、昭和六年に南隣保館が建築されて、その中に右家事講習所、共愛託児所等が統合された。
原告は大正一二年一〇月二〇日現在の堺市協和町で生れ、共愛託児所で保育を受け、昭和一三年三月堺市立安井小学校高等科を卒業し、就職先として電話交換手に採用されることが決まり講習を受けていたところ、右共愛託児所等の職員が病気になつたため、他の保母に懇請されて同年一〇月共愛託児所の保育を手伝うこととなり、臨時職員として同和保育を行う目的で堺市に採用された。当時、熱意をもつて部落改善事業に携わろうとする者は、その職務が困難なこともあり他に存在しなかつたため、原告が特に頼まれて同和保育を行うことになつたのである。
原告は昭和一四年五月一日臨時職員から常用職員の小使を命ぜられたが、これも一般的に小使として任命されたものではなく、隣保館の中の共愛託児所で同和保育を行うことを目的としたものである。原告は前記のとおり就職先として電話交換手が決まつていたのであるが、当時の部落の貧しく悲惨な状態を目の前にして、部落解放に役立つ子供を育てるために同和保育に従事することにしたのであつて、それ以外の目的で堺市に採用されたものではなく、また、一般の保母、職員になる目的で採用されたのでもない。
堺市も、一般職員として原告を採用したのではなく、他に同和保育を行う者がいない状況、特に同和地域出身者以外の者がそのような職務を行うなどとは到底考えられない状況のもとで、協和町出身の原告を共愛託児所で同和保育に従事させる目的で採用したのである。
原告は昭和一七年五月一日助手を命ぜられ、同二二年六月一日保母を命ぜられたが、いずれの場合にあつても、仕事の内容は何らの変化もなく、右託児所の人員、体制も以前と全く同一であつた。
昭和二四年に児童福祉法が施行されると共に、共愛託児所は共愛保育所と改名されたが、業務内容や体制には全く変化はなく、また、法律上保母となるには資格が必要となつたが、原告は資格がないまま職階としては共愛保育所の保母とされていたのであつて、同保育所で同和保育を行うという職種の内容に何らの変更もなかつた。
原告は、更に、昭和二九年に正式の保母資格を取得したが、右資格の取得はあくまでも原告の個人的、自主的性格のものであつて、右資格を取得したからといつて、原告が共愛保育所以外の他の保育所の保母として転出すること(資格上このことは初めて可能となつたが)は思いもよらないことであるし、堺市もそのようなことは期待する筈のものでもなかつたから、保母資格の取得は原告の職種の内容を変更するものとはなつていないのである。原告が現在保母資格を取得していることが、いかにも他の一般の保母と同様の職種内容であるかのように錯覚させるが、そうではない。採用される前に保母資格をもつて保母として採用される場合と、保母資格なしに共愛託児所当時から共愛託児所の同和保育を行うため採用された者が、その後保母資格を取得した場合の職種内容とは質的に相違せざるを得ない。後に保母資格を取得し、他の保育所の保母としても勤務できるようになつたからといつて、他の保育所へ配転してもよい職種内容に自動的に変更されるものではない。
その後、昭和三二年原告は主任保母となつているが、共愛保育所での同和保育の一線の責任を負わされる立場となり、同保育所で同和保育を行うという職務の性格はより強く鮮明になつた。昭和四四年に同保育所は現在の場所に移転したが、原告の職務内容や地位は何ら変更されていない。
このように、原告は途中で正式の保母資格を取得したものの、当初の職務内容は何ら変更されないまま、同和保育を行うこととして一貫しているのである。
(三) 堺市が、原告を共愛託児所の同和保育に従事させる目的で採用し、その後一貫して同和保育に従事させてきたのにはそれなりの理由があつたからにほかならない。すなわち、福祉業務を行うについても、協和町に関しては原告から当該住民の家庭の事情を聴取し、それにより要保育児童を決める。原告が協和町地域の人間関係に詳しいため、父母に調査に行く前に原告に聞いておけば、それら地域の父母との関係も円滑に運ぶ。保育行政の面についても、協和町の住民は、共愛保育所即山田エイという感覚でとらえていたが、これは、原告が長く共愛保育所で一貫して同和保育に携わつてきたということのほかに、原告自身が協和町出身であるということが大きな理由となつており、このような関係があつて、初めて堺市の同和保育行政が地域住民との間で円滑に運営されていた。そして、堺市特に福祉事務所は、業務遂行に当たり原告を地元の共愛保育所に置くことによつて、地元と役所の関係を円滑に運営していた。原告をこのような目的をもつて採用する必要性があつたのである。
(四) 更に、原告の採用が共愛保育所において同和保育を行うことを目的としたことを根拠づける事実として、原告が有史以来の協和町出身の唯一の保母であつたということがあげられる。仮に協和町出身の保母が原告以外にいたならば、堺市は原告を共愛保育所で同和保育を行うことを目的として採用する必要もなかつたのであるが、協和町出身の者が保母となり、しかも、部落解放に非常な熱意をもつて、一般保母から敬遠されている共愛保育所で同和保育に携わろうというのであるから、このような目的のもとに原告を採用したとしても何の不合理もない。
(五) 原告の採用と職種の内容を以上のように解しても不合理でないことは、他にも同様の例があることによつても明らかである。隣保館、共愛託児所、家事講習所などには協和町出身外の者は代わることをいやがり、やむをえず協和町出身者がここの業務に従事することを目的にして雇用され、そのまま代ることなく業務を継続することとなるのである。
(六) 以上のとおり、原告の採用は戦後の保母の採用の類ではなく、同和事業に関する業務従事者に特有の採用であつて、原告もこのような採用を熱望し、共愛保育所における同和保育に一生を捧げる目的であり、堺市も原告を右業務に従事させる目的で採用したのであつて、そのまま今日に至つているのである。したがつて、右採用の経過及び職種の内容を無視し、これに反する本件配転は違法である。
3 本件命令は堺市と市職労との間に締結された協定に違反する。
(一) 右両者の間に、昭和四六年一〇月、市職労の中央執行委員、中央委員会(組合大会に次ぐ中間議決機関)の委員(以下中央委員という)、支部執行委員及び青年部、婦人部の各役員の配転については、市職労と事前協議をする旨の協定(但し、書面は作成されていない。以下本件協定という)が成立し、その後は右協定に基づいて右中央委員らの配転については事前協議が行われてきた。
ところが、堺市は、原告が市職労の中央委員であるにもかかわらず、本件配転をなすに当たり市職労と事前協議をしなかつた。
(二) 仮に、中央委員については、その選出区分(選出母体)を異にする職場へ配転する場合に限り協議する取決めであつたとしても、本件配転は右選出区分を異にする職場への配転である。すなわち、中央委員の選出は組合員五〇名につき一名という一般的基準を市職労として定立し、その具体的な方法は各支部に委ねられていたところ、本件配転当時共愛保育所は右の基準から一名の中央委員選出の規模を有しており、同保育所の活動状況からもこれを支持するだけの運動を荷つていた。
したがつて、保育部全体で三名の中央委員を選出したうち、一名は共愛保育所のみを選出区分としており、他の二名をその他の保育所から選出していたのであるから、共愛保育所と新金岡西保育所とは中央委員の選出区分を異にするものである。
(三) 以上のとおりであるから、本件配転は本件協定に違反し、違法である。
4 本件命令は地公法五六条に違反する不当労働行為である。
原告は、市職労の中央委員であると共に婦人部の役員を勤め、共愛保育所を中心に組合活動を熱心に行つてきた。その典型的なものをあげると、昭和二八年当時の給食運動、同三〇年の特殊勤務手当や産休交替要員確保の要求闘争、同三一年から三七、八年頃の保育料値上げ反対闘争、給食下請反対運動などであり、この頃から堺市において保育所も徐々に増加してきたが、それら保育所全体の水準の向上の最先端の役割を原告が荷つてきたのである。
更に、原告は同和地域の父母からの信頼が厚く、右のごとき保育条件の運動のみでなく、当時異常な形で進められていた部落解放に名をかりた運動に批判的な立場で父母や他の保母らに対して働きかけをしており、特に他の保母と父母との間で紛争を生じたときにこれを解決したり、所長を通じて異常な研修が命じられても、組合員を守つてこれを拒否してきた。
これらの活動は原告の婦人部役員の日常活動でもあり、このような立場で職場に相互信頼と協力の体制をつくりあげることは市職労への信頼を著しく高め、同保育所の組合員の組合活動への結集状況も活発なものがあつた。
以上のような組合活動に対し、堺市は解同との癒着を強めるようになつてから特に原告を嫌悪するようになり、地域や他の保母との繋りの強い同和保育所からの排除をねらつて本件命令をなしたものであつて、本件命令は、地公法五六条に違反するものである。
5 本件配転は人事権を濫用したもので、違法である。
(一) 原告と共愛保育所との関係について
原告は、前記2、(二)のとおり堺市の臨時職員、常用職員の小使、助手として共愛託児所の保母の仕事に従事し、昭和二二年六月一日には保母に任ぜられ、以後同託児所、共愛保育所における同和保育の全責任を負つていた。
同保育所の保母は、昭和二四年には原告を含め三名であつたのが、その後次第に増えて昭和四四年には一一名、昭和四六年四月には五一名に達し、原告は昭和四五年一二月に同保育所長が置かれるまで唯一の主任保母として、同保育所の管理運営から保育まで全責任を負つていたのであつて、同所長が置かれた後も、同所長は保育には全く関与しなかつた。
また、同保育所の保母の大半は二〇歳代の経験の乏しい者であるため、原告はその中心となつて同保育所における同和保育に従事してきたのである。
(二) 共愛保育所の目的と原告の役割について
同保育所の置かれている堺市協和町は、いわゆる同和地域であつて、同保育所は同和保育を目的としている。そして、同和保育は同和地域の歴史と現実及びその住民の生活と感情を知り、右住民の立場に立脚しなければなし得ない。
原告は三三年間にわたり、同保育所において困難な同和保育に専念してきたものであり、しかも、同保育所において同和保育の経験者は原告以外には少なく、保母のほとんどが一年余りの経験しか有しない者であつたから、この意味においても、原告は同保育所において責任をもつて同和保育に従事することができる唯一の保母であつたのである。
原告は同和保育を全うするため、同和保育に関する知識、経験の不十分な保母が赴任してくると、研究会、学習会を開き、乳幼児の家庭訪問、父母との懇談会を実施し、他の同和保育所へ見学に赴くなどして同和問題ないし同和保育に関する正しい認識をもち、地域住民と乳幼児を心から理解できるよう指導し、また、保母と父母との間に紛争が生じた際は、その間に入つて父母の誤解を解くことも原告の仕事であり、原告がいなければ、同保育所における同和保育は到底なし得なかつたものであつて、原告は同和保育にとつて最適の保母であつたといわなければならない。
(三) 本件命令の不合理性について
本件命令は、以上のような事情を全く考慮することなく、原告、地域住民、乳幼児の父母、共愛保育所の他の保母らの意向を無視して、一方的になされたものである。
また、保母の配転については、発令前に本人に内示する慣行であつたが、本件命令についてはそのような内示もなかつた。
原告のように協和町に住み、同町の実情を把握し、同和保育にとつて必要欠くべからざる保母を、遠方かつ同和保育を目的としない新金岡西保育所の保母に配転させることは不合理であつて、同保育所にふさわしい適当な保母は他に多数いる筈である。
このような意味において、本件命令は不合理であるといわなければならない。なお、被告が主張する配転理由に合理性がないことは、後記四、1ないし4のとおりである。
(四) 本件配転の背景について
部落解放運動が、昭和四四年朝田、上田派の分裂行動により分裂させられた後、同和地域の一部住民によつて組織されているにすぎない「部落解放同盟朝田、上田派」(以下これを解同という)は、自治体の「同和予算」、「同和事業」への介入、寄生とその私物化を暴力的に押し進めた。特に大阪においては、解同大阪府連の行政への介入と私物化はひどく、堺においても、解同大阪府連はそれまでの解放同盟堺支部(以下解同堺支部という)を組織ごと排除して解同大阪府連の意のままになる分裂組織を作りあげたうえ、被告に対し、同和行政は解同大阪府連と連絡のうえ行うよう要求した通告書を送り、同和行政への介入、寄生とその私物化を公然と開始した。
その結果、堺市は昭和四五年七月二一日解同の圧力に屈服して、解同大阪府連及び同堺支部に対し、同和行政に関する「窓口一本化」の確約書を差し入れた。右確約書によれば、今後堺市のすべての同和事業は、解同堺支部を通じて実施することを全面的に誓い、例示として同和住宅の入居、同和地域の病院の理事などの人事、同和行政に関する給付などは解同を通じて実施し、同和地区住宅用地の買収価格の引き上げ、更には追加支払を確約したものであつた。
このような一部の私的団体への堺市の確約が憲法一四条の平等原則、同法九二条の地方自治の本旨及び地方自治法一三八条の二に違反するものであることはいうまでもない。しかも、堺市は、その後もかかる窓口一本化の同和行政を一層拡大強化していくのみでなく、本件命令後の昭和四九年一月一六日には、被告が同和事業を行政と解同大阪府連、同堺支部とが一体化した事業として推進する旨の決意書を公表し、昭和四五年以来解同堺支部と窓口一本化を確立し、今後ともその方針を堅持し、同和対策事業を進める旨の再確認をなし、広報によつて公然と解同に忠誠を誓つた。そして、堺市は、同和対策事業に関する総理府通達(同和対策の推進について、昭和四八年四月一七日付)、政府次官通達(同和対策事業の推進について、昭和四八年五月一七日付)が、同和対策事業の執行に当たつては同和対策行政の目指す受益が対象地区住民に等しく及ぶことが必要で、行政の公平性と対象地区住民の信頼の確保に充分留意するよう指示したのに対し、これら通達を秘匿し続けたのみならず、堺市の部長会は、昭和四九年一月二三日「同和対策事業窓口一本化についての見解」なるものを発表し、前記政府次官通達を誤りとして、解同との窓口一本化を一層進めることを公言するに至つた。
市職労は昭和四六年七月二四日の第三〇回定期大会において、堺市の解同による同和行政私物化を排し、公正、民主的な同和行政を要求する運動方針を確立した。右運動方針は、「堺市においては学童の被服支給や改良住宅の問題などで要求を同じくする住民に対して不平等なとりあつかいがなされています。もともと地方行政は憲法、地方自治法の民主的条項に則つて公正、平等に執行されなければならないものですが、堺市当局は同和事業実施の現状において、その行政責任を追及されています。私たちは、部落問題の学習を深めながら、解放運動に積極的にとりくみ、自治体労働者として公正、平等な市政の推進、労働者、市民の権利を守るためにたたかいます」とするものである。
当時すでに、解同の住宅要求組合に加入しない限り入居できないし、修繕もできない。解同の「保育守る会」に父兄が加入していない限り、児童措置手続さえできない。解同の「教育守る会」に父兄が加入していない限り、学童に夏服も支給されず、生徒、学生に就学奨励金も支給されないなど同和行政全般が解同によつて私物化され異常な混乱状態に陥つていたが、本件命令後この傾向はますますひどく、行政という名も冠し得ない不公正、乱脈、非民主的な行為が横行し、市職労はこれを改めさせる戦いを展開した。本件配転に対する戦いも、その重要な一環である。
堺市における同和保育は、昭和四八年にちぬが丘保育園が開所するまでは共愛保育所のみで行われていたのであるが、同保育所における同和保育行政に対しても、解同の意を受け窓口一本化を口実にして、次のような不公正、非民主的な数々の施策がとられてきた。
堺市は、昭和四五年五月、同和対策事業として同保育所の全乳幼児に無償で支給する夏服・鞄・上靴について、解同に加入している父母の乳幼児にのみ支給し、これに加入していない父母の乳幼児には支給しないという暴挙を行つた。
また、同年夏頃より、同保育所の保母に対し、解同の行う私的研修会にすぎない同和研修に参加命令を出し、しかも半強制的に参加させるようになつた。その内容は解同の理屈を一方的に押し付ける如きものであり、かつ、勤務時間内に参加させるばかりでなく、勤務時間外、日曜休日、泊り込みの同和研修へも時間外勤務手当、出張手当等を支給して参加させるという不公正、乱脈さであつて、このような同和研修への参加命令は昭和四六年、同四七年と年を追つて強化された。
更に、同保育所には入所乳幼児の父母で構成された「父母の会」が組織されており、保母と協力しながら保育内容の改善などを行つてきた。ところが、前記解同の分裂行動以後は、父母の会とは別に解同堺支部に属する「保育守る会」なる父母の組織が作られた。堺市は、昭和四五年四月、それまで同保育所の入口に設置されていた父母の会の掲示板を解同堺支部や保育守る会の圧力に屈して一方的に撤去し、それまで同保育所の保母が自主的活動として協力して行つていた父母の会のニユース配付などに対しても中止するよう介入、干渉を行つてきた。他方、堺市は同保育所の保母に対し保育守る会のニユース配付を強要し、保育守る会との「交流会」に同保育所の保母の出席を強要するに至つた。
解同大阪府連によつて、以上のような、自治体の同和行政に対する支配介入が開始されたのに対し、昭和四四年一一月、部落解放運動を正しく発展させる立場から「正常化連絡会議」(以下正常化連という)が結成されて活動が開始され、堺市においても「正常化連堺支部」が組織された。
正常化連堺支部は、他の民主的立場の人達と協力して、窓口一本化確認書に基づく、不公正、非民主的同和行政に対し厳しく抗議し、是正させる運動を行ない、これを発展させ、特に、市職労は、前記のとおり、昭和四六年七月二四日の定期大会において、労働組合として初めて不公正、非民主的同和行政に反対し、これを是正させる運動方針を打ち出すに至つた。
本件配転は、以上のような背景ないし運動発展の最中に行われたのである。
(五) 本件配転の目的について
ところで、共愛保育所の保母の大多数は、前記のような解同の運動方針に批判的であり、堺市の不公正な同和保育行政を批判し、これに反対するさまざまな行動を行なつてきたのであるが、この反対運動の中心であり、他の保母に対し反対する勇気をもたせて、同保育所における不公正な同和保育を防いできたのが原告であつた。
まず、夏服等支給問題の際には、他の保母が内心その不公正及び乳幼児に与える悪影響を苦慮しながらも、解同の糾弾をおそれるあまり公然と批判できない状態のときに、原告が先頭に立つて、堺市が保育守る会に入つていない父母の乳幼児にも夏服等が支給されるまでは夏服等を支給された乳幼児に着用させることを拒否するよう呼びかけ、他の保母もこれに従つて結局全乳幼児に夏服等を着用させることを拒否した。これに対し、堺市は解同堺支部、保育守る会からの突き上げにより、保母に対し夏服等を着用させるよう命令したが、保母はこれに従わず、原告を先頭に職員会議の席でも、平等に支給するよう所長に対し要求をし、実現させた。このように、保母が強い態度をとることができたのは、原告がおり、先頭に立つて行動したからにほかならない。
また、父母の会の掲示板撤去問題の際にも、原告が所長に抗議したのに対し、所長は解同堺支部、保育守る会からいわれたから撤去するのだと弁解せざるを得なかつた。
更に、父母の会のニユース等配付の妨害、保育守る会のニユース配付の強要問題の際には、原告がこのような不公正な措置について抗議をなし、他の保母も原告に従つて保育守る会のニユース配付を拒否した。
また、保育守る会と保母との交流会参加強要問題の際には、原告は、交流会は保育守る会とだけ行うのではなく、父母の会とも行うよう要求し、堺市の不公正なやり方に抗議した。このような中で、保母も交流会に参加することを拒否するようになつた。
同和研修に対しても、原告は不公正な研修への参加を公然と拒否し、保母に正しい解放理論、部落の実情、歴史等を理解させるために、自主的に保母を集めて学習会を行なつた。そして、保母との日常的接触の中で、解同の行う研修内容の誤りを公然と批判し、指摘した。
このような、原告の公然たる解同批判、堺市の不公正な同和行政批判は、同保育所の保母に大きな影響を及ぼし、解同の影響力の強い同和地域の中にありながら、堺市の不公正な同和行政の推進に対し大きな抵抗となり、思うままに不公正な措置をとることができない状況が作られ、本件配転の前年である昭和四六年夏の同和研修参加強要の際には、大多数の保母が集団で所長に対し抗議に立ち上がるという状況が生れるに至つた。
以上のように、原告が一名いることにより、同保育所の保母全体が堺市の不公正な同和行政に批判、抵抗し、この強行を押しとどめるという結果になり、本件配転当時には、堺市及び解同にとつて同保育所における原告の存在は不公正な同和行政を推進するためにはどうしても許すべからざる状態になつていた。
このような諸事情によつて明らかなように、本件配転の目的は、原告が解同の圧力に屈した堺市の不公正、非民主的な同和行政を批判し、その影響力により同保育所における不公正な同和保育の推進をはかることが困難となることをおそれ、原告を他に排除しようとした点にあるといわざるを得ず、まさに、解同の圧力のもとに、原告の同和保育に関する思想、信条を嫌忌してなした差別行為であつて、違法である。
このことは、次の事情からも明らかである。すなわち、
本件配転の際に、共愛保育所では原告外五名が配転対象となつているが、このうちの大半はいずれも原告の呼びかけた自主的学習会に参加していた者、あるいは原告と共に同じ考えのもとに批判し、行動していた者ばかりであつて、結局、本件配転により、原告ばかりでなく原告に同調する者をも一挙に同保育所から排除しようとしたねらいが示されている。
また、このことは、昭和四八年四月の配転とのつながりでみても明らかであつて、そのときに同保育所の保母二九名が大量配転の対象となつたが、それらの者はいずれも組合役員であるだけでなく、原告と共に解同及び堺市の不公正な同和保育に批判的な考えをもつている者ばかりである。
結局、昭和四七年に本件配転をしたものの、地域住民の大きな抗議の高まりの中で、事実上原告を同保育所にもどさざるを得なくなつた堺市が、原告の影響力を減殺するため、今度は原告の配転の代りに、原告に同調する周辺の保母を配転したものである。
6 よつて、請求の趣旨記載の判決を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認めるが、本件命令が無効又は取消されるべきものであるとの主張は争う。
2 請求原因2のうち、本件命令が採用の際に定められた職種の範囲を超えているとの主張は争う。
同(一)の主張は争う。
同(二)のうち、原告主張の時期に家事講習所、共愛託児所、南隣保館が設立されたこと、共愛託児所及び共愛保育所が同和保育所であること及び原告の経歴については認めるが、その余の事実は争う。
同(三)の事実は争う。
同(四)のうち、原告が協和町の出身であることは認めるが、その余の事実は争う。
同(五)の主張は争う。
同(六)の主張は争う。
3 請求原因3のうち、本件命令が本件協定に違反するとの主張は争う。堺市と市職労との間においては、中央委員の配転について、いかなる場合にも事前協議を要するとの協定は成立していない。たゞ、中央委員の選出区分を異にする職場へ配転するについては市職労と事前に協議する旨の取決めは存するが、本件の場合は、共愛保育所と新金岡西保育所とは同じ選出区分に属するので、本件協定違反の問題は起らない。
4 請求原因4のうち、本件配転が原告に対する不利益取扱いであつて、地公法五六条に違反するとの主張は争う。原告が市職労の中央委員であることは認めるが、堺市が原告を嫌悪し、共愛保育所からの排除をねらつて本件命令をなしたとの点は否認する。その余の点は知らない。
5 請求原因5のうち、本件配転が人事権を濫用したもので違法であるとの主張は争う。
同(一)のうち、原告の経歴及び原告が共愛保育所において同和保育に従事していたことは認めるが、その余の点は争う。
同(二)のうち、堺市協和町が同和地域であること、共愛保育所が同和保育所であることは認めるが、その余の点は争う。
同(三)のうち、原告が協和町に住み、同町の実情を把握していることは認めるが、その余の点は争う。
同(四)のうち、堺市が昭和四五年七月二一日解同大阪府連及び同堺支部に対し、同和行政の窓口一本化の確約書を差し入れたこと、被告が昭和四九年一月一六日に決意書を公表したこと、昭和四八年四月一七日及び同年五月一七日に原告主張の総理府通達及び政務次官通達が出たこと、昭和四八年にちぬが丘保育園が同和保育所として開所したことは認めるが、市職労が昭和四六年七月二四日の定期大会において原告主張の運動方針を表明したことは不知、その余の事実は争う。
同(五)の事実は争う。
三 被告の主張
1 いわゆる同和教育は、部落解放運動の極めて重要な要素であるが、いわば解放運動の全過程がそのまま同和教育であり、この同和教育は同和地域出身の児童のみを対象としたものではなく、国民全体を対象とした教育の根幹をなしている。つまり、同和教育は差別を許さない児童を育てる教育であり、差別を許さない教育は民主主義教育であり、したがつて、同和教育は、教育一般の実践過程に生かされることによつて一般教育のための指針ともなるものである。
右の論理の過程はそのまま一般保育と同和保育の関係に当てはまるのであつて、乳幼児を対象とする同和保育は、部落解放の資質を乳幼児の頃から養成することを直接の目的とするものであり、それは口先だけの教育ではなく、集団主義の視点にたつて、子供の心情の奥深く根ざした仲間への連帯感を育て、これに働きかけることによつて、差別に負けない、強固な魂をもつた子供を育てあげることである。このような保育の目的は、同和地域の子供だけを対象に設けられたものではなく、一般地区の保育の内容、方法にまで深められる必要があることは、前記同和教育と教育一般との関係と同様の論理関係にあるものである。大阪府下全小、中学校の児童、生徒を対象に、同和教育の徹底を期するための読本「にんげん」が配付されているが、いまや同和教育は教育一般の実践の指針として、国民的課題とされなければならないことが明らかとなつた。これは、「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によつて保障された基本的人権にかかわる課題である。したがつて、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題」(昭和四〇年八月一一日付同和対策審議会答申前文)であるという至上命令に答えようとするものであり、歴史的には全国水平社以来の伝統を受け継ぐ、解同を主体とした、解放運動の成果とみなすべきものである。同和教育と同様に、同和保育におけるその創造的な内容と方針が、一般地区の保育の場に生かされる必要があることは、あらゆる差別を抹殺しようとする時代のすう勢となつている。なぜなら、差別が差別される者と差別する者との社会関係としてとらえられる限り、その双方に働きかけねばならないからである。
同和保育の内容と方法は決して特別な保育ではなく、最も民主的な保育であり、これまでの一般保育にみられた弊害である個人主義、競争、能力主義、優勝劣敗の思想及び「ここから先は親の責任です」とか「差別の現実など知ることは保母の仕事ではない」という保育の限界を設けようとする思想を否定せんとする内容を与えられている。
民主主義の貫徹(換言すれば、あらゆる差別の撤廃)は同和地域のみを対象としてその運動が要請されているものではなく、日本全体の民主化こそ緊急の国民的課題というべきところ、保母が差別の現実から学ぼうとするこの姿勢と努力(原告は同和地域の実態をすみずみまで把握していると主張している)こそは、真に民主的な保育を成功させるための絶対不可欠の条件というべきであり、このような姿勢こそ同和保育のみならず、むしろ、より一層一般保育の中で生かされなければならない。堺市は同和行政を最重要施政の一としており、このような考え方にたつて、本件配転がなされたことが指摘される必要がある。
2 堺市は、かねてより同和保育の内容と方法は、一般保育にも生かされるべきであるという方針を有していたのであるが、本件配転当時保育所は全市に三〇か所、うち同和保育所としては共愛保育所のみであつた。また、同和地域の乳幼児は希望により一般保育所に入所することができ、そのような例も少なからずあつた。
本件配転先の新金岡西保育所は昭和四六年八月に設置され、本件配転当時保母は一二名で、同和保育所の経験者は全く存在せず、うち八名は保母経験年数が僅か一年という実情で、逆に在籍児童は多数にのぼり、経験の深い保母が是非必要であつた。
堺市は主任保母及び一般保母の配転方針を定めて、(1)同一保育所で一〇年以上勤務した保母、(2)新しい保育所には経験の深い保母を、(3)同和保育の内容と方法を全市的に深める、という三つの条件のうち一つ以上に該当する者として、本件配転と同時に共愛保育所からは原告以外に五名が他に配転された。すなわち、三橋正枝が市立錦西保育所へ、松野正子が市立安井保育所へ、難波悦子が市立金岡保育所へ、金川成子が市立鳳保育所へ、高田聖子が市立登美丘西保育所へそれぞれ配転され、現に勤務中であるが、以上五名はいずれも前記条件のうち(3)に該当し(いずれも共愛保育所での経験年数は平均約三年)、原告は(1)ないし(3)にすべて該当する者として本件配転がなされたのである。六名中主任保母は原告のみであるが、外に該当の主任保母として、大橋裕子(三五歳)が西陶器保育所から湊保育所に配転され、現に勤務中である。また、原告の現住所から配転先までの通勤路の変更は決して過酷なものではなく、原告現住所から三〇分で通勤できる範囲内(これまでは五分)にあり、これらの事情から明らかな如く、本件配転には行政目的を達成するうえでの必要性を充分に満たしており、恣意的なものではなく、また、原告のみが差別的取扱を受けたわけでもなく、したがつて、本件配転には合理的理由がある。
なお、保母の人事異動につき事前に本人の承諾をとつたという先例はこれまでになかつた。
原告は、自分は同和保育、すなわち共愛保育所に欠くことのできない人物であると主張するが、これは独断である。昭和四七年九月、同保育所には主任保母として、
氏名 共愛保育所年数 通算経験年数
中辻知子(三九歳) 一年 一五年
中林端子(四六歳) 一年 一一年
安藤淑子(二八歳) 一年 七年
杉本文子(二七歳) 三年 六年
塩津幸子(二八歳) 二年九月 二年九月
西尾晶子(二九歳) 二年九月 二年九月
及び経験に富んだ一般保母が多数同保育所の運営に努力しており、何らの支障をきたしていない。同和保育は部落解放を目指す教育として、保育所における教育権を先取りしようとする積極性に支えられており、そのことは部落解放運動の歴史的蓄積の結果であるが、同保育所もその例にもれず、たくましく生成発展の経緯を辿つており、決して原告がいるかいないかによつて、その運営に困難をきたすが如きひ弱なものでないことは、原告自身よく承知しているところである。
仮に、原告が、同地域の同和保育により、余人をもつて代えがたい程の必要性があるとしても、そのことから直ちに本件命令が違法となるものではなく、配転が許されないとする根拠となるものではない。
3 本件命令がいかなる点からするも、社会通念に反するとか、正義の観念に反するとかいう場合でないことは前記のところから極めて明らかであつて、特に、公務員は、全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務するという義務を国民全体に負担しているものであり、本件に即していえば、同和保育の中で創造されたその内容と方法は、全市的、全国的規模においてこれを深めなければならず、かような行政目的は、民主々義から要請される必然の帰結であり、国政の志向すべきところでもある。本件配転は、堺市の右行政目的を達成しようとする動機から出ており、もつて同和行政の実をあげようとしたもので、何ら違法、不当ではなく、むしろ、原告は、同和教育の根底をなす同和保育の中で得た貴重な経験を他の保育所において活用すべく期待されているというべきであつて、以上いかなる点からしても、本件配転は適法なものである。
4 本件配転が権利の濫用に当るという原告の主張は裁判所の判断になじむものではない。本件配転は、堺市の同和保育及び一般保育の実情を全体的に把握したうえで、専門的、技術的判断からなされたものであつて、かかる人事異動についてまで裁判所の介入を認めること、すなわち、裁判所が行政の人事配転について、適、不適の判断を示し、地方公務員の人事異動が軽々に取消されるならば、地方公共団体の行政の実施は根本的に破壊されることになる。
本件配転が原告を殊更不平等に、差別的に、不利益に扱うことだけを、あるいは原告の権利、自由を剥奪することだけ、すなわち原告に損害を与えることを目的としてなされたものでないことは、原告の認めるところであろう。そうしてみると、原告の主張するところも、結局は、本件配転の不当性を、単に主観的かつ一方的に訴えたものにすぎないのであつて、裁判所の判断になじまないといわなければならない。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 被告が主張する本件配転の理由は、いずれも合理性がない。
被告は、前記三の2において、(1)ないし(3)の三つの基準が定められ、原告はその全部に該当すると主張するが、いずれも本件訴訟になつて初めて主張されたものである。すなわち、
原告及び市職労の役員らは本件配転を知つた後、直ちに堺市に対し何度もその不当性を抗議し、配転理由を問い正したが、長いから代つてもらいたい旨を繰り返えすのみであり、それ以上の具体的理由は一度も説明されたことがない。被告の主張は後日つじつま合わせのために考え出され、本訴において突然主張されたものである。
2 まず、一〇年以上勤務した保母という基準についてみるに、堺市において本件配転以前に、基準が示されたことは一度もなく、一〇年という期間に合理性があるとの説明もない。
およそ、保母の職務は、一般職員の職務と異り、地域の状況を把握し、乳幼児の家庭の事情を知り、父母と協力しながら行うことによつてよりよい保育ができるという特性を有している。特に支障のない限り、同一地域の保育所で長年勤務することが職務上要請される性質のものである。したがつて、原告が三〇年以上共愛保育所に勤務していたことも、合理性があるのであり、ほかにも一〇年以上同一保育所に勤務していた保母も多数いる。一〇年以上勤務している保母を配転する合理的理由はないばかりか、保母の職務からみてむしろ不合理というべきである。
また、本件配転当時、一〇年以上勤務した保母が原告以外にいたにもかかわらず、配転対象になつていない。このことは、一〇年以上勤務した者という基準による本件配転の不合理性、し意性を示している。
3 次に、新しい保育所に経験の深い保母を配置するという基準についてみるに、この基準も本件配転前に示されたことはない。
そもそも、このような基準自体が合理性を有しないのであつて、保育所運営を円滑に行うための保母の体制は、熟練者から新任者まで均衡をもつて構成されることが必要であつて、このことは新設保育所であると、既設の保育所であると変りはない。新設であるからといつて熟練保母を多く集める必要は全くないのである。
新金岡西保育所は、昭和四六年八月に開設されていて、新設保育所ではなく、開所当時から必要な保母の人員と体制が整つて十分な保育が行われており、同保育所に対し経験の深い保母を配転する必要性は存在しない。このことは、昭和四七年四月に本件配転が凍結され、堺市はその時点で原告が同保育所において近い将来保母の業務を行うことがないことを知りながら、同保育所に原告に代る保母の配置を行つていないことからも明らかである。
更に、本件配転当時一般保育所では主任保母(口頭主任を含む)は一名配置され、新金岡西保育所もそうであつたが、原告が同保育所に配置されると同保育所には主任保母が二名いることになり、異例の結果が現出することになる。
なお、本件配転当時経験の深い保母は原告以外に多数いるのであるが、堺市では誰が新金岡西保育所にふさわしいかを比較検討した形跡が全くない。しかも、原告は同和保育という困難な業務に主任保母の立場で責任をもつて従事しており、かつ、昭和四四年から開始した乳児保育に試行錯誤を繰り返えしながら取り組んでいたのであつて、そのような原告を殊更選び出し配転させることに合理性を見出すことはできない。
また、新金岡西保育所においては、右開所当初より乳児保育の体制がとられていたのであつて、乳児保育の必要性という面からみても本件配転の必要性はなく、同保育所の保母の中でも、経験の深い保母、あるいは乳児保育の経験のある保母の配転を求める声も特にあがつていないことは、本件配転の必要性がないことを示しており、本件配転後に何か所かの保育所において乳児保育が行われるようになつたけれども、この場合に乳児保育経験者を配転した例もない。
この点からも、新金岡西保育所へ配転する必要性及び合理性はないといわざるを得ない。
4 更に、同和保育の内容と方法を全市的に深めるという基準についてみるに、被告の主張によれば、この基準が本件配転理由の中心になつているようである。しかし、この基準も、本件訴訟に至つて突如主張されたものであるばかりか、内容自体理解に苦しむ特異な主張であり、そして、被告の主張する解放運動とは解同の運動のことであるから、被告は同和保育所及びそれ以外の保育所でも解同の運動方針にそつて保育を行い、保育行政を行うと主張していることになる。
しかし、被告のこの主張の不当性、不合理性は、次の理由により明らかである。
(一) 堺市が窓口一本化を同和行政に導入し、一私的団体にすぎない解同を通じてのみ同和行政を行い、その結果、解同に属していない者に対する同和行政を拒否し、不公正、非民主的な行政を行つていること、特に、共愛保育所においてもかかる不公正、非民主的措置が行われていることは前記のとおりであるが、同和保育所である右保育所において不公正、非民主的行政が行われているのは、解同の運動が即同和保育であるという主張が根拠となつていることは明らかであつて、結局、このような主張の不当性、不合理性を物語つている。
(二) 解同の運動方針を一般保育所における保育にまで深めるという被告の主張は、一私的団体にすぎない解同の一般保育所に対する介入、支配を堺市が容認することにほかならず、同和保育所のみならず一般保育所の保育内容、保育行政が特定団体によつて支配されるという不当、不公正を容認する根拠となるのであつて、右主張の不合理性を示している。
(三) 同和保育所は、同和地域における同地域の乳幼児の保育を目的とするから、同地域の経済的、社会的状況に応じ、一般保育所以上に人的、物的設備を妥当な範囲で充実することが社会的に要請されている。そして、同和保育所の保母は、部落差別の歴史を理解し同和地域の実情を十分知つたうえで、困難に負けず、一般保育所の保母以上に献身的に保育に携わることが要請されるのであつて、これが保母に要請される同和保育の内容というべきである。したがつて、このような保育に情熱をもち、右保育を行える条件を備えた保母を同和保育所に勤務させることが、同和保育を充実させるために必要である。
ところが、原告は共愛保育所において同和保育を充実させる条件を十分に備えている者であり、保育の目的から考えて同保育所で同和保育を行うことが本来的に期待されている者である。このような原告を同保育所から一般保育所に配転するということは全く逆転した措置といわざるを得ない。
被告はこの点について、同和保育の中で創造されたその内容と方法は、全市的、全国的規模においてこれを深めなければならず、同和保育の中で得た貴重な経験を活用すべく期待して原告に対する本件配転を行つたと主張しているが、前記のとおり、被告の主張する同和保育を一般地区の保育の場に生かすということは、結局、解同の運動方針を一般保育所においても貫ぬくということに帰着せざるを得ず、それは、不公正、非民主性の拡大という意味で不当であるうえ、原告は解同の運動方針、すなわち堺市の同和行政のあり方に公然と反対して言動をしている者であり、被告の主張するような一般保育所において同和保育を深めるような行為(解同の方針を拡大すること)は、全く期待する余地のないものである。
また、一般保育所で同和保育を深めるという点について、同和保育の経験のある保母である原告に一般保育所で具体的に何をせよというのかという質問に対し、被告側証人は、同和行政や同和保育所における措置に対し疑問を持つている人に説明をし理解をしてもらうことだと答えたが、堺市が、不公正、非民主的な同和行政及び同和保育所における諸措置を行つているからこそ市民の中で多大の疑問が生ずるのであつてこの疑問を説明することは同和保育の経験があるからといつてできるものではないうえ、前記のとおり、原告自身右堺市の措置に対し最も強く反対し、疑問を持つ者であるから、このような疑問に対し説明し、説得できる筈がないのみならず、このような疑問を説明し、理解してもらう行為は保母本来の任務ではない。
(四) 更に、同和保育を全市的に深めるために行つたという本件配転理由は、その内容さえ十分に理解しかねるものであつて、被告が本訴においてこのような主張を突如提出してきたことは、まさに本件配転の真のねらい、すなわち堺市が推進している解同の運動方針に従つた同和保育とは異る考え方をもつ原告を、その考え方、思想の故に共愛保育所から排除することを自ら暴露しているものにほかならない。
なお、同和地域の乳幼児でも希望により一般保育所へ入所することができることは認める。
第四証拠関係<省略>
理由
第一本案前の主張に対する判断
一 原告は、主位的請求として、本件命令の無効確認を求めているところ、被告は、その原告適格を争い、訴え却下を求めているので、この点について判断する。
行訴法三六条によれば、無効等確認の訴えは、(1)当該無効な処分に続く処分により損害を受けるおそれがある者、(2)当該処分の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者で、当該処分の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによつて目的を達することができないもののいずれかに限つて認められると解すべきところ、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告は、本件命令後一か月二五〇〇円の割合による同和保育に伴う特殊勤務手当の支給が打ち切られ、その結果、超過勤務等に伴う調整手当についても減額支給されたこと、原告は、現在に至るも本件命令に従つていないため、これを理由に堺市から懲戒処分を受けるおそれがあることが認められるから、右(1)の要件をみたし、本件命令の無効確認訴訟を提起し得るものというべきである。
二 原告は、予備的請求として、本件命令の取消しを求めているところ、被告は、右請求は審査請求前置を経ていないから不適法であるとして訴え却下を求めているので、この点について判断する。
1 行訴法八条一項は、その但書該当の法律の定めがあるときは審査請求前置を義務づけており、その裁決を経ずして提起された取消訴訟は、同条二項の事由の立証がない限り、前提要件を欠き却下を免れない。そして、地公法四九条の二によれば、同法四九条一項に定める懲戒その他その意に反すると認める不利益な処分を受けた職員は、人事委員会又は公平委員会に対して不服申立て(審査請求又は異議申立て)ができ、同法五一条の二によれば、右の処分であつて人事委員会又は公平委員会に対して不服申立てができるものの取消しの訴えは、不服申立てに対する人事委員会又は公平委員会の裁決又は決定を経た後でなければ、提起することができないことが明らかである。
ところで、本件命令が右法条にいうその意に反すると認める不利益処分に当たるかどうかについては、不利益処分の認定基準、範囲などについて何らの規定を設けていない地公法のもとでは、これを一義的に示すことは困難であるが、本件配転は場所的異動を伴い、かつ、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告の通勤時間が従前の約五分から約三〇分に延びること、本件命令後一か月二五〇〇円の割合による同和保育に伴う特殊勤務手当の支給が打切られ、その結果、超過勤務等に伴う調整手当についても減額支給されたことが認められ、更に、原告の主張によつても将来、退職金、共済組合保険金等の支給に影響を受けることになるというのであるから、原告の法律的地位に変動をもたらすものというべく、したがつて、不利益処分に該当するものというべきであり、このことは、被告が処分事由を記載した説明書を交付せず、原告もその交付請求をしなかつたとしても変りはない。また、被告が処分事由の説明書を交付した場合に限るべき根拠もない。
2 原告は、原告の生命と身体の安全という金銭で償えない損害を未然に防ぐという緊急の必要が存したから、裁決を経なくとも処分取消しの訴えを提起することは適法であると主張する。
証人日根徳一、同木下了の各証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和四七年三月二八日正午頃、
共愛保育所の所長室において、戸田所長から口頭で本件命令の告知を受けたがこれを拒否し、更に当日午後二時頃原告の部屋において、堺市厚生産業局民生部長の日根徳一が命令書を交付しようとしたところ、その受領も拒否したので、右日根らが約一時間三〇分にわたり更に原告を説得して本件配転を承諾させ、命令書を受取らせようとしたため、原告は自制心を失い、思い余つて同年四月七日自殺をはかつたが、未遂に終つたことこのようなことがあつたので、被告は当分の間本件命令の効力を事実上停止し、健康回復後原告の意向を聞いて処置することを決め、現在に至つていることが認められる。
以上の事実によれば、原告が本件命令が原因で再度自殺をはかることは到底考えられないから、原告の生命と身体の安全を未然に防ぐという緊急の必要があるとはいえない。
原告は、また、堺市内部の行政機関は当時解同大阪府連の不当な支配下に置かれ、審査請求をしても直ちに救済裁決を得ることは期待できなかつたから、審査請求を前置しなかつたことに正当な理由があると主張するが、そのような事実を認めるに足りる確たる証拠はないし、更に、主位的に本件命令の無効確認を求め、予備的にその取消しを求めている本件にあつて、無効確認の本訴を提起する一方予備的請求のための審査請求をなすことは手続の重複であり、訴訟経済的にも不合理であるから、審査請求を前置しなかつたことは正当であるとも主張するが、無効確認と取消訴訟とは訴訟の形態、要件を異にし、取消し請求について審査請求の前置が要求されている以上その手続をふむのは当然であつて、右主張も採用できない。
以上のとおりであるから、本件命令は地公法四九条一項の不利益処分に該当し、かつ、本件命令に対して審査請求を経ないで直ちに取消しの訴えを提起したことについて行訴法八条二項二号、三号に該当する事由があるとはいえないから、審査請求を経ていない本件取消しの訴えは不適法である。
第二無効確認請求の本案に対する判断
一 原告の身分と配転命令
原告が本件命令まで堺市立共愛保育所の主任保母(口頭主任)であつたこと、被告堺市長から保母等の職員の配置命令をなす権限の委譲を受けていた堺市厚生産業局長加古川国雄が、昭和四七年三月二八日、原告に対し、市立新金岡西保育所勤務を命ずるとの本件命令をなしたことは当事者間に争いがない。
そこで、以下、原告の主張する本件命令の無効の理由の存否について、順次判断する。
二 職種の範囲を超えた違法の有無
1 原告が昭和一三年一〇月堺市の臨時職員に採用され、同一四年五月一日小使に、同一七年四月一日助手に、同二二年六月一日保母にそれぞれ任命され、同二九年児童福祉法等に基づく正式の保母資格を取得し、同三二年主任保母となつたこと、その間共愛託児所及び共愛保育所の勤務を命ぜられて同所において保母(当初における保母手伝を含む)の仕事に従事していたこと、共愛託児所及び共愛保育所が同和保育所であることは当事者間に争いがない。
しかしながら、原告が昭和一三年一〇月以降同和保育所たる共愛託児所及び共愛保育所において保母の仕事に従事してきたからといつて、そのことから直ちに原告が同和保育所の保母、すなわち、専ら同和保育に従事することを目的とする保母として採用されたものと断定することはできない。
右争いのない事実からすれば、原告は保母に採用されて保母という職種が定められ、共愛託児所及び共愛保育所勤務を命ぜられたにすぎず、それ以上の限定はなかつたと認めるのが相当である。
そして、任命権者は、原則として、その自由裁量によつて当初定められた職種の範囲内において他の職務を命ずることができ、共愛保育所の保母であると新金岡西保育所の保母であると職種は全く同一であるから、本件配転をもつて、当初定められた職種の枠を超える職務を命じたものということはできない。
2 原告は、原告が昭和一三年一〇月臨時職員に、昭和一四年五月一日小使にそれぞれ任命されたときは、部落改善ないし部落開放のために同和保育に従事する目的を有していたのであつて、他の一般保育所の保母になる目的はなかつた旨主張するが、そのような目的は、採用される際の内心の動機ないし意図にすぎず、職種の内容をなすものであると認めることはできない。
3 原告は、堺市も、同和地域出身者以外の者が同和保育を行うことは考えられない状況のもとで、協和町出身の原告を同和保育に従事させる目的で採用したものである旨主張するが、原告本人尋問の結果によれば、堺市は、共愛託児所の保母に欠員を生じたのでその補充のために、当時電話交換手に採用の決まつていた原告を臨時職員として同託児所に採用したことが認められるのであつて、原告が協和町出身であること及び原告主張のような状況を考慮に入れても、被告が原告の職種を同和保育に限定して採用したものと認めることはできない。
4 原告は、また、堺市が原告を一貫して同和保育に従事させていること、それは原告が協和町出身で、かつ同町の諸事情に詳しいため、原告を共愛保育所に置く必要があつたことをあげ、堺市の採用目的ないし原告の職種内容が同保育所における同和保育に限定されている旨主張する。
しかしながら、右のような事実をもつて直ちに原告の職種が共愛保育所における同和保育の保母に限定されていたと断定することはできない。
原告は昭和二二年に正式に保母として任命され、昭和二九年には児童福祉法等に基づく保母の資格を取得していること(これらの事実は当事者間に争いがない)、原告本人尋問の結果によつて明らかなように、共愛保育所と他の一般保育所との間において保母の人事交流がひん繁に行われていること、乳幼児の保育そのものは同和保育所であると一般保育所であると全く同一であること(もつとも、同和保育所については、その特殊性の故に、同和行政との関連、乳幼児の家庭や父母との関係などについて、格別の困難が伴うことは容易に想像できるが、これらのことは保育の本質的内容に変更をもたらすものではない)からすれば、原告の職種が同和保育に限定されたものということはできない。
三 事前協議協定違反の有無
原告が本件配転当時市職労の中央委員であつたことは当事者間に争いがない。
原告は、本件協定により、中央委員の配転についてはその選出区分を異にする職場への配転であると、選出区分を異にしない職場への配転であるとを問わず、市職労との事前協議を要する取決めになつており、仮に選出区分を異にする職場への配転に限る取決めであつたとしても、本件配転は選出区分を異にする職場への配転であると主張し、被告は、原告の右前段の主張を否定し、後段について本件配転は選出区分を異にしない職場への配転であるとして争つているのであるが、本件協定が地公法五五条九項にいう協定であり、書面によらざるものであることは原告の認めるところである。
ところで、「職員団体は、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程にてい触しない限りにおいて、当該地方公共団体の当局と書面による協定を結ぶことができ」(地公法五五条九項)、右書面協定は、「当該地方公共団体の当局及び職員団体の双方において、誠意と責任をもつて履行しなければならない」(同法条一〇項)ものであるが、法的拘束力を有するものではないから、仮に、堺市と市職労との間に原告主張の内容を有する合意が成立したとしても、協定としての効力を生じないものといわざるを得ず、右合意を履行しないことをもつて人事権濫用の一事由として主張するはともかく、本件配転を協定違反であるとして直ちに無効であるということはできない。
よつて、本件命令が本件協定に違反するとの主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
四 不当労働行為の有無
1 原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、市職労結成当初からこれに加入し、昭和三七年頃から市職労婦人部の役員に、更に、同四〇年頃から市職労中央委員に選任された(原告が中央委員に選任されていることは当事者間に争いがない)。
(二) 原告は、共愛保育所において同和保育に専念し、昭和三二年四月一日主任保母を命ぜられ、同保育所における保育全般はもちろん、同和地域との連絡、調整等の責任者となり、昭和四五年一二月に同保育所に新たに所長が任命された後も、右のような仕事の中心をなしていた。
(三) ところで、原告は、昭和四五年以降の堺市における同和行政ないし同和保育の方針が、いわゆる分裂後の解同の圧力に屈服し、窓口一本化を推進しようとする不公正、非民主的で、思想信条による逆差別をはかるものであるとして反対し、原告の加入していた市職労も、右と同様の理由で堺市の同和行政の方針に反対しこれを是正させる運動方針のもとに種々の活動をしていた。
例えば、堺市が昭和四五年五月頃同和対策事業として共愛保育所の全乳幼児に無償で支給する上つ張り、鞄、上靴等について、解同に加入している父母、すなわち「保育守る会」に加入している父母の乳幼児にのみ支給し、右会に加入していない父母の乳幼児には支給しないことを決めたのに対し、原告は不公平な措置であるとして、これに批判的な意見を持つている同保育所保母の中心となつて反対し、右上つ張り等が支給されない乳幼児にもそれが支給されるまでは、すでに支給された乳幼児に上つ張り等を着用させることを拒否することを提唱し、他の保母もこれに賛成し乳幼児にそれを着用させることを拒否し、もし父母が着用させてきた場合は保育所内では取外させることを決めた。堺市は原告ら保母に対して支給された乳幼児に着用させるように命令したが原告らはこれに従わず、職員会議において同保育所長に対し全乳幼児に平等に支給するよう要望した。
また、原告は、昭和四五年頃から同四七年にかけて、同保育所長から、解同大阪府連、同堺支部等が主催する解放講座等の研修、「保育守る会」の会同及び同会と保母との「交流会」、狭山事件の決起集会その他各種会合、集会などに参加するよう命ぜられたが、堺市及び解同の同和行政の方針に反対する立場からこれを拒否したこのため、同保育所の他の保母も原告に同調して同保育所長の命令があつても参加しないようになつた。のみならず、原告は、その頃自主的に同保育所の新任保母らに呼びかけ、同保育所又は原告方等において、正常化連に属するか又は正常化連の考え方に同調する講師を招き、解同の方針に批判的な立場から同和地域の実態、同和行政などについて理解を深めるための研修会を開いた。
更に、同保育所には、その乳幼児の父母を構成員とする「父母の会」が結成され、同保育所の保母は自主的に同会のニユースビラを乳幼児の父母に配付していたところ、原告は、同保育所長が保母に右ビラの配付を中止すると共に、前記保育守る会のビラを配付するよう要求したことに対して抗議し、職員会議で両ビラ共保育所内で配付しないことを決議させ、また、同所長が同保育所の入口に設置された父母の会の掲示板を一方的に徹去したことに対し、右は解同の圧力に屈し、同会を潰す目的をもつてなされたものであるとして抗議をした。
以上のとおり認められる。
2 地公法五六条によれば「職員は、職員団体の構成員であること、職員団体を結成しようとしたこと、若しくはこれに加入しようとしたこと又は職員団体のために正当な行為をしたことの故をもつて不利益な取扱いを受けることはない」と規定されているところ、これを本件についてみるに、右の事実関係によれば、原告は、共愛保育所において長年にわたり保育の中心をなすと共に、堺市の同和行政ないし同和保育の方針に批判又は反対する市職労と同じ立場から種々の活発な活動をなし、その中心をもなしていたことが明らかであるから、堺市の当局者及び同保育所長らから決して快よく思われていなかつたことは推測し得るし、その結果、原告を同和保育所でない新金岡西保育所に配転してその活動を少しでも阻止しようとする意図があつたことは否定できないところであるが、後記五の1において認定したような本件配転に至る経緯と配転事由とを総合して考察すると、原告が右のような活動をしていなかつたとしても本件配転はなされたであろうということが認められるから、原告が右のような活動をしたことの故をもつて本件配転がなされたと断定することはできない。
したがつて、原告のこの点の主張も理由がない。
五 人事権濫用の有無
1 まず、本件配転に至る経緯と配転事由についてみるに、原告が昭和一三年一〇月共愛託児所の保育を手伝うこととなり、臨時職員として採用されたこと、昭和一四年五月一日常用職員の小使に、同一七年五月一日助手に、同二二年六月一日保母に任命され、共愛託児所及び共愛保育所において同和保育に従事していたことは当事者間に争いがない。
証人梶山茂の証言によつて成立を認める乙第三号証、右証人、証人日根徳一の各証言、原告本人尋問の結果(但し、証人梶山、原告本人の各供述については後記認定に反する部分を除く)に弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。
(一) 堺市では、昭和四七年二月頃、同年三月の職員の人事異動についてその基本方針を決定し、これを堺市の局長会で指示した。その内容は、(1)同一場所に長年(一〇年以上)勤務している者を対象とする。(2)今回の異動はできる限り小範囲にとどめる。(3)今回は昇格をしないの三点であつた。
これを受けて、堺市厚生産業局民生部では、保母の人事異動の基準として、(1)同一保育所に一〇年以上勤務している者を対象とする。(2)一般保育所の保母にも同和保育の重要性を認識し、その理解を深めさせるため、同和保育所の保母と一般保育所の保母との交流をはかる。(3)新設保育所における保育の一層の充実をはかるため、新設保育所にできるだけ熟練した保母を配置する。(4)異動の範囲はできるだけ小さくし、昇格を伴わないことを決定し、右民生部の基準の(1)ないし(3)のうちいずれか一つに該当する者を異動の対象者として選ぶこととして、民生部保育課において異動の原案を作成した。
(二) 堺市の保育所においては、本件命令がなされた昭和四七年三月二八日現在、原告が共愛保育所に昭和二二年六月一日以降約二四年一〇か月間、次いで、大橋祐子が西陶器保育所に昭和三七年四月一日以降約一〇年間それぞれ保母として勤務しており、主任保母(口頭主任を含む)としては、右両名が同一場所に最も長く在任していた。
堺市には、前同日当時二七の保育所があり、うち同和保育所は共愛保育所一か所で、昭和四六年一〇月現在の共愛保育所の保母は五三名であつた。
新金岡西保育所は昭和四六年八月一日に開設され、共愛保育所、東浅香山保育所に次いで乳児保育を始めたところであるが、一三名の保母のうち大半は新任で、かつ若く、必ずしも乳児保育が円滑に行われていなかつた。
(三) 民生部では、前記(一)の異動方針及び同(二)の事情を考慮して、共愛保育所では原告及び三橋正枝、難波悦子松野正子、金川成子、高田聖子の六名の保母を異動の対象者として取り上げ、原告は保育の熟練者として新金岡西保育所に配転し、前記のような同保育所、特にその乳児保育をより一層充実させると共に、後記人事異動と相まつて同和保育と一般保育の各保母の交流をはかることとした。
それとほぼ同時期に共愛保育所には堀田ほか三名の保母が転入し、疋田ほか六名の新規採用の保母が配属され、増員された。本件命令後共愛保育所には主任保母(口頭主任を含む)として中辻知子、中林端子、杉本文子、安藤淑子、塩津幸子、西尾晶子の六名が勤務している。
以上のとおり認められ、右認定に反する証人梶山、原告本人の各供述部分はたやすく採用できない。
なお、原告は、前記人事異動の方針ないし基準たるものは、被告が本件訴訟において始めて主張したものであつて、事前に示されたことはなく、それを裏付ける事実として、原告及び市職労の役員が本件命令後配転の理由を問い正したが、堺市当局者は、長いから代つてもらいたいと繰り返えすのみで、それ以上の具体的理由は一度も説明されたことはなかつたと主張するが、仮に、そのような事実があつたとしても、原告も被告も不利益処分とは考えていなかつた(もし不利益処分であると考えていたならば、当然地公法四九条一項、二項に定める処分事由を記載した説明書の交付又はその交付請求がなされるべきであるが、双方共それをしていないことから明らかである)人事異動の理由を、逐一原告や市職労の役員に示さなければならない根拠は見出し得ないから、そのことだけで、前記人事異動の方針ないし基準が本件配転前に決つていなかつたとすることはできない。
2 ところで、地方公務員につき配転を行う場合において、その要件を定める法規が存在しない以上、その目的方針、範囲、対象者の選定、配転先の決定などについては、人事権者の自由裁量に任されているものと解すべきであつて、人事権者が右の裁量権を行使してした配転が社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限りその裁量権の範囲内にあるものとして違法とはならないというべきであると共に、裁判所の審査権もその範囲に限られ、このような違法の程度に至らない判断の当、不当には及ばないといわなければならない。
これを本件についてみると、前記認定の事実関係によれば、堺市が昭和四七年三月の職員の異動について示した基本方針、これを受けた厚生産業局民生部の保母の異動の基準は、配転の一方針ないし基準としてもとより首肯することができ、この基準に合う者の一人として原告が選ばれ、本件配転がなされたことは、一応右裁量権の範囲内にあるものということができる。
例えば、同一の職務に極めて長期間在職することは、余程専門的な職務であるなどの事情があればともかく一般的には好ましくないから、長期間同一職務にあつた者を順次他の職務に配転するということは、通常考えられる配転の基準の一つであつて、首肯し得るものというべく、本件配転の場合、原告が保母として二四年一〇か月間共愛保育所に勤務していたということは、まさに右の基準に該当するといわなければならない。
3 原告は、この点について、保母は同一地域の保育所に長年勤務することが職務上要請されるとか、原告は同和保育にとつて最適の保母であり、このような保母を一般保育所に配転するのは不合理である旨主張する。
もとより、保母の職務が地域の状況を把握し、乳幼児の家庭の事情を知り、父母と協力しながら行うことによつて、よりよい保育がなし得ることはいうをまたないところであるが、このことは小、中学校の教員でも全く同様であつて、保母(これを同和保育所の保母に限つても)に特有の性質ではない。したがつて、そのことから当然に保母、特に同和保育所の保母について同一地域の保育所に長年勤務することが職務上要請されるということはできない。
また、原告が同和地域とされている堺市協和町の実情を把握していることは当事者間に争いなく、昭和二二年六月一日以降保母として共愛保育所において同和保育に従事し、昭和三二年四月一日主任保母を命ぜられて、同保育所における保育の中心であつたことは前記認定のとおりであつて、これらの事実関係によれば、原告が乳幼児の保育全般はもとより、特に、保育以外の点についても種々の困難を伴う同和保育に慣熟していることは容易に認められるところである。
ところで、保育全般はもちろん同和保育にも慣熟している原告は、当然一般保育にとつても最適の保母であるから、このような保母を一般保育所へ配転することは何ら不合理ではない。
また、同和保育に慣熟している原告が同和保育にとつて最適であることはいうまでもないが、同和保育は原告でなければなし得ないものではなく、同和保育所の勤務を命ぜられた以上、同和地域以外の出身者であつても、種々の困難を克服し、同和保育に慣熟し得るよう努力しなければならないものであつて、現在の共愛保育所の保母五十余名は日夜そのための努力をしているものと考えられるから、原告を共愛保育所から他へ配転するのは不合理である旨の主張は独断であるというのほかはない。
4 原告は、本件配転により一般保育所に主任保母が二名になることは異例であると主張するが、前掲乙第三号証、原告本人尋問の結果によると、共愛保育所も当初主任保母は原告一名であつたのが、保母の人員増加に伴い現在は六名(原告を除く)になつていること、新金岡西保育所は共愛保育所に次ぐ保母の人員の多い保育所で、本件配転当時一三名であつたことが認められるから、新金岡西保育所に主任保母が二名となつたとしても、その規模からして当然であつて、決して異例ではないというべきであるから、この点の主張も採用できない。
5 原告は、被告のいう同和保育の内容と方法を全市的に深めるとの基準は不当であり、不合理であつて、結局のところ、本件配転は、同和保育に関し堺市が推進している解同の運動方針に反対する原告を、その考え方ないし思想の故に共愛保育所から排除する目的をもつてなされたものである旨主張する。
しかしながら、被告のいう右の基準なるものは、前記認定のとおり、一般保育所の保母にも同和保育の重要性を認識し、その理解を深めさせるため、同和保育所の保母と一般保育所の保母との人事交流をはかるとの趣旨であつて、右の基準も、他のそれと同様配転の一基準として首肯し得るものであり、それ自体何らの不合理性は見出せない。
また、同和問題に対する認識、評価、同和行政の推進などに関しては、さまざまな意見の対立がみられることは周知のとおりであつて、それらの問題点についてその当、不当ないし適法、違法を判断することは極めて困難である。本件に則して詳言すれば、同和行政は、国民に対して基本的人権の享有と法の下の平等を保障した憲法の理念に則してなされなければならず、同和対策行政のめざす愛益が同和地域の住民に等しく及ぶことが必要であつて、そのため、行政機関は同和行政の具体的な施策をたてるについて、公正、平等の点に格別の配慮をしなければならないのであるが、右の場合に何が公正、平等な措置といえるかについては一般的に決定することは困難であるといわなければならない。
しかし、仮に、原告の同和行政ないし同和保育の推進に関する考え方と堺市のそれに対する基本方針との間に原告主張のような差異があり、原告の考え方がより公正、平等であるとしても、そのことから直ちに本件配転が原告の思想の故に共愛保育所から排除する目的でなされたものと断定することはできない。すなわち、前記四の2において認定したように、堺市の当局者は、原告をその活動の故に快よく思つていなかつたことは推認し得るが、本件配転は前記五の2において判断したとおり、首肯し得る基準に基づいてなされたものであつて、原告が選考されたことにも合理的理由があり、これが決定的原因となつていることが認められるから、本件配転をもつて、原告の思想の故になされたものと推測することはできない。
六 以上のとおりであつて、本件命令には何ら違法の点はないから、原告の無効であるとの主張は理由がなく、本件無効確認の請求は失当である。
第三結論
よつて、原告の主位的請求は失当として棄却し、予備的訴えは不適法として却下することとし、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 上田次郎 安斎隆 下山保男)